追記 島津藩大名籠
島津藩大名籠説明書原文 「帰国していた篤姫の里、薩摩、島津の大名籠」

「NHKの大河ドラマで放送中の篤姫が夫家定公亡き後天璋院として大奥ですごしていた
1867年、パリにおいて万国博覧会が開かれた。
ナポレオン三世からの招聘を受けた日本国として江戸幕府が参加、出品したが、すでに
倒幕の機運が盛り上がりつつあった篤姫の里薩摩藩も幕府に対抗して独自に参加、出品
した。薩摩を紹介する工芸品など多数が出品されたが、その中に島津の大名籠があった。
博覧会終了のあとそれらの品物は現地にてすべてオークションにかけられ売却された。
その後その大名籠がどのような経緯を経たか不明であるが、1989年ニューヨークの
クリースティーズのオークションに現れた。
世界中からオーダーがあったが日本の杉山仁治氏が競り落とした。
杉山氏は東京の自宅にそれを保管していたが、この度青森県大鰐町の不二やホテルで
展示し一般公開することになった。
単なる運搬具ではなく工芸品としても一級品である。保存状態もきわめてよく、諸藩に
おいて財政を立て直していた数少ない裕福であった国、薩摩藩の経済力を示す豪華絢爛
たる一品である。」
当館ご利用以外のお客様がご覧になる場合は、午前11時から午後2時までの間に
ご覧ください。

「NHKの大河ドラマで放送中の篤姫が夫家定公亡き後天璋院として大奥ですごしていた
1867年、パリにおいて万国博覧会が開かれた。
ナポレオン三世からの招聘を受けた日本国として江戸幕府が参加、出品したが、すでに
倒幕の機運が盛り上がりつつあった篤姫の里薩摩藩も幕府に対抗して独自に参加、出品
した。薩摩を紹介する工芸品など多数が出品されたが、その中に島津の大名籠があった。
博覧会終了のあとそれらの品物は現地にてすべてオークションにかけられ売却された。
その後その大名籠がどのような経緯を経たか不明であるが、1989年ニューヨークの
クリースティーズのオークションに現れた。
世界中からオーダーがあったが日本の杉山仁治氏が競り落とした。
杉山氏は東京の自宅にそれを保管していたが、この度青森県大鰐町の不二やホテルで
展示し一般公開することになった。
単なる運搬具ではなく工芸品としても一級品である。保存状態もきわめてよく、諸藩に
おいて財政を立て直していた数少ない裕福であった国、薩摩藩の経済力を示す豪華絢爛
たる一品である。」
当館ご利用以外のお客様がご覧になる場合は、午前11時から午後2時までの間に
ご覧ください。
by fujiya-hotel
| 2008-06-19 21:10
| ごあいさつ